3. 役立たずだった銀行員時代…



【 西村綾子 STORY 3. 】

地元名古屋の学校を卒業して、
最初に勤めたのが 株式会社十六銀行 です。


この時も私は、自分ではどこに就職すればいいのか
決めることが出来ず、
就職担当の先生が私に提案した求人表の6件中4件が
金融系だった、という理由で銀行に入行しました。


結果私は、仕事でしょっちゅうミスをして、
支店にかなりの迷惑をかけました。



新入社員研修を受けた後 配属になったのは、
名古屋市熱田区にある熱田支店。
為替の担当になりました。

窓口でのお振込や、企業の給与振込などを、
端末で手打ち入力してお金を動かしたり、
手形取引を扱うのが仕事です。


銀行は15時に店を閉めた後、
その日の入金と出金の金額を全て計算して、
両方が同じであるかどうかを確認します。

数字が合わなければ何かミスが起きている
ことになりますので、その日の作業を全て
チェックし直さなければなりません。


私は…その原因となることを時々起こしました。




自分では確認して集中して仕事をしているつもりなのです。
それなのに、数字が合わない時に調べていくと、
かなりの確率で私が関わったものが原因でした‥。

次第に、

「入出金が合わなければ 西村のゴミ箱からさがせ」

と言われるまでになりました。




ひどいですよね…。

私のダメっぷりが、ですよ‥。
辛いというか、混乱していたのは、
自分ではとても気をつけて真剣にやっているのに間違いが起きることです。


当時の私はまだかなり神経質なところがあって、
様々なことを察知したり、人より敏感に気づけたりできる方でした。


ところが、

「計算などの数字を扱うこと」と、

「手順が1から10まで決められていて
その通りにやらなければならないこと」


については、どうしてもうまくできなかったのです。


これらのことは私には全く向いていないんだなと、
身をもって知ることができました。

そして、今後この方面は、私がこれから働く分野の
選択肢からは除外すればいいのだとわかり銀行を辞めました。


ちなみに銀行では、本人が辞めたいと言えばすぐに
辞めさせてもらえるわけではありませんでした。
(今はわかりませんが)

辞めさせてもらえるまでの一年近く
迷惑をかけ続ける辛さと引き換えに、
私でもお役に立てることが見つかったのですけれど、
それについては下のリンクからお読みください。



その後、同級生が働いていた日本ロレックス株式会社に
空きがあるからと声をかけてもらい転職。

時はバブルの終わりかけ、海外旅行が盛んで、
ブランド物を持つ人が溢れていた時代です。


ここでは語りつくせないほどドラマチックなことがよく起きました。



受付にいると、上下真っ青なスーツを着た強面のお兄さんがやって来て・・・









役立たずでもすぐには辞めさせてもらえなかった銀行側の事情と
そんな中でも自分の得意が見つかった話は〈こちら





【 4 】へ続きます