13.「スッキリ」オーディション 風紀委員長枠?



【 西村綾子 STORY 13. 】



司会の仕事がどんどん楽しくなっていた中でいただいた、
民法キー局の生放送帯番組のオーディションのお話。



正直に言いますと、(なぜ私に? ) でした。


名古屋時代から数えてテレビの仕事のブランクは9年にもなっていましたし、
東京でテレビの仕事をするなんて考えてもいなかったからです。




裏話をしますと、

私がお世話になっていた事務所は名古屋が本社で、
本社にはテレビの仕事をされている方がたくさんいらしゃいます。

けれど、東京オフィスは司会者がメインのため、
テレビの経験があるのは数える程しかおらず、
その中から通販番組のみテレビ経験がある人を除くと

生放送番組の経験があり、募集要項に合うメンバーが
私くらいしかいなかった、という事情がありました。

なので、このオーディションに出された3人のうち、
私以外の2名は名古屋オフィス所属の方だったんです。
(生放送の経験豊富な先輩方です)


事務所にオーディションの声がかかった以上、
誰かしらは行かせないと、
次から声をかけていただけなくなってしまいますから、
事務所も名古屋からメンバーを呼んででも
頭数を揃えたかったんですね。



私はその事情を知っていましたので、
日テレで番組オーディションを受ける経験なんて
そうそうできないんだし…と、
見学しに行くようなつもりで参加したのでした。





初めて行く 民放キー局。


(おっきいなぁ…
こういうところで番組作ってるんだなあ)



名古屋時代のオーディションとは比べ物にならないくらいの人数の多さ。

ピリピリした雰囲気。

(番組レギュラーの椅子を目指して、
こんなにたくさんの人がやってくるのか…
すごい世界なのね、やっぱり東京は違うなぁ)


そんなことを思いながら
オーディションに来ている人たちを観察していると、
私の名前が呼ばれました。




この日は、総合演出やプロデューサー陣が並ぶ会議室に5人ずつ呼ばれて、
自己紹介と簡単な質疑応答・ニュースの原稿読みをしました。


一緒に呼ばれた方の中には、
「私を採ってください!」という気迫がすごい方もいて、
このくらい前のめりじゃないと東京では勝ち残っていけないの?
それにしても力入ってるなぁ…などなど、
受けている人に興味が向いてしまい、

自分がオーディションを受けているという感覚があまりなかったのですね。
普通に会話して、質問に答えて、私の順番は穏やかに過ぎてゆきました。


その何日か後に、
今度はスタジオでのカメラチェックに呼ばれました。
行ってみましたら5人しかおらず、
これが最終審査であることを聞いてびっくりしたことを覚えています。

放送で実際に使う台本を抜粋した数枚の紙を渡されて
カメラの前で本番のようにプレゼンを行うのが審査でした。


自分がどのようにプレゼンしたのか、
よく思い出せないのですけれど、
その頃かなりの件数の司会の仕事をしていましたので
説明すること自体はなんとか出来たのだと思います。



それでも、

(日テレのスタジオに入れるなんてなかなかないことよね〜
いい経験させてもらったなぁ)

くらいに思っていました。


なぜなら、他の4人がとっても慣れていて、
私よりも若く、素敵な人たちばかりだったからです。




それから1週間ほど経った頃、事務所からの電話で
「受かりました」と言われた時にも、
間違いではないのですか? と確認したくらい、
なぜ採用いただいたのかが全くわかりませんでした。
手応えもなかったですしね。



通知をいただいてもなお半信半疑のまま、
番組上層部の皆様にご挨拶しに伺った時のこと。

立場が一番上のプロデューサーから、
帰り際にこう言われました。



「風紀委員長として頑張ってくださいね」


(え、風紀委員長?)


いざ入ってみましたら、歴代の女性リポーターは全員
地方の局アナウンサー経験者。
アナウンサーとしての基礎も個性もしっかりある、
20代半ばの素敵な方ばかりでした。



(サラリーマンやって、何の資格もなく、
局アナ経験もない私が(しかも当時35歳)、
何を期待されて呼ばれたのだろう。
リポーターなのに風紀委員長ってどういうこと?)




この時私は、名古屋での苦い経験を思い出していました。


またここでも、

”呼んでいただいたのにお役に立てないサイクル”

に突入していくのだろうか…。




















スッキリのオーディションに出したプロフィール写真





【 14 】へ続きます